unico-ptrasudのブログ

遊びをせんとや生まれけむ

5/23 犯罪は社会が生んだのか

夕ごはん


カジキマグロのバター醤油焼き

ナスの味噌炒め

小松菜とカニカマの中華炒め

カブのそぼろ煮

豆腐とワカメの味噌汁

リンゴ



ナスの味噌炒めは、今朝のお弁当の残り



今朝のお弁当

野菜のインヴィジブル、カニカマ天ぷら、ナスの味噌炒め、ご飯にカツオ昆布と海苔



今朝のベランダ

ミニトマトと千成キュウリの芽🌱


苗を植えたほうが効率的だけど、種まきして芽が出るのを見るのが楽しい🎶




今朝の朝日新聞、オピニオン&フォーラムの記事


「犯罪は社会が生んだのか」


感銘を受けたのでここに抜粋してみる



犯罪の加害者が「社会が悪い」と動機を語るとき、「甘えるな」という反応がしばしば返ってくる


だが、犯罪を生んだ社会の側に責任はないのか


「犯罪と社会」について考える


と、こんな前置きがあって、



この中で特に、脚本家・俳優の梶原阿貴氏の「集団の責任まで 自己責任」に共感を覚えた


なぜなら、新聞等でよく見るこの「自己責任」という言葉に、いつも引っかかっていたから


私は深く考える頭がないから、その引っかかり、違和感がなぜなのか自分で分からなかったけど、


「自己責任」という言葉がなくなればいい、と言う梶原氏は、明確に説明している


【弱い立場にある人たちを切り捨てる行為を正当化するために使われている❵言葉だから、と


彼女が脚本を書いて、昨年公開された映画「夜明けまでバス停で」(私は全く知らないけど)


これは、2020年に実際に発生した、都内のバス停で路上生活者の60代の女性が殴られて死亡した事件がモチーフ


試食販売の仕事がコロナ禍でなくなり、家族に頼れず生活保護制度が使いにくい中で、路上生活を余儀なくされていたこの女性の自己責任?(とんでもない)


また、彼女の命を奪った男性は、長年ひきこもり状態にあり、社会的支援を受けられずに孤立していた


80代の母親と二人暮しで、起訴された後に自殺した


梶原氏は、社会のひずみが行動に表れてしまった面が必ずある、と指摘する


動機が、「バス停に居座る女性にどいてほしかった」で、殺意があったかも不明


脚本執筆中に、youtubeで「ホ―ムレスの命はどうでもいい」、「いないほうが良くない?」、「くさいし、治安悪くなるし」という発言を耳にし、


容疑者の男性もネットから同様の影響を受けていたかも、と感じたそう


(彼女の名誉のためにつけ加えるが、すべて社会の責任と考えている訳でもないし、殺すという行為は悪いし責任は負うべき、と書いている)


ただ、自己責任という考え方は、本来であれば社会や集団の責任であるはずの部分まで、本人のせいだと自他に思い込ませてしまう働きがある、それが

問題←この部分に特に賛成👏👏👏


「これは社会のせいなのではないか」という見方が誰かから提起されることは、社会を良くするためにみんなで状況を共有し、議論をするきっかけになる、と結んでいる



自己責任という言葉が嫌だった訳が分かって、少しすっきりした気がしているし、


「もしかしたら社会のせい?」という見方ができるようになりたい、とも感じました