8/4 【お父さんから生まれた】
今日は夜勤の日
今朝のお弁当
ほとんど残りものだけど、昨日収穫したオクラを使って、茶々さんのレシピ「薄焼卵のオクラ巻き」を作ってみた。
茶々さんは薄焼卵が本当に薄く、オクラの星の形もきれいだったけど😅
私はね...😞
実はこの不器用さは父の遺伝。
母とすぐ下の妹は本当に器用で何でも難なくやれるタイプ。
それに対して、父と私と下の妹はね...😅
でも、父も私もすっごく好奇心が強くて何でもやってみたい。
父は多趣味で、模型(特に飛行機)、絵画、写真、サボテン、畑等々に夢中だった。
小学生の時は、教科書に爆薬の作り方が載っていて(今では信じられない😨)実験、バケツの底を吹き飛ばしたそう。
私もぼんやり覚えている、エンジンを搭載したグライダー(?)は公園で迷子になり、なんと!20キロも離れた白根市の人が回収して届けてくれた。不恰好だったけど、ちゃんと飛んだ〜😁
会社の工場の隣の精肉工場から逃げてきたヒヨコをもらい受けて、写真用のライトで暖めて育てたり...
それがちゃんと育って、鶏小屋を設計して建て始めたけど、そこまでなのよね😅
不器用だからね、結局大工さんに頼むことになってしまった。
サボテンの温室も図面をひくところまでは完璧。
で、これも結局大工さん😣
あれっ?
何でこんな話を書いてたんだっけ?
そうそう、茶々さんのオクラはすごくきれいなのに、私は真似できない、そこからの流れだった😅
出かける前にムスコの明日のお弁当
定番のキムチチャーハン✌️
それと、ムスコの夕ごはん
ダイエットのためのサラダ
でも、帰りにMacシェイクなんか飲んでくるよ、きっと😣
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父の話のついでに、以前書いたシナリオを基に加筆した短文を掲載。
元々は創作だったけど、直したらほとんど事実に😓😅
お読みいただけたら感謝🙆
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【お父さんから生まれた】
私はお父さんから生まれた。幼い頃はそう信じていた。
一緒にお風呂に入ると...。
「ほら、お父さんのお腹のこの傷、ここからお前が生まれたんだ。」
そう言って、父はお臍の横から縦に走る大きな傷を指さした。本当に赤ちゃんが出てきてもおかしくない、20センチ位の傷だった。
でこぼこの縫い目を、私は怖々指でなぞった。ひとつ、ふたつと数えながら。11針あった。
中学生になる頃には、馬鹿げた作り話と知っていた。その傷は腹膜炎の手術の跡だった。
思春期の私は、何かにつけて父に反抗した。何度怒鳴られたことだろう。頬を打たれたこともあった。父から離れたくて東京の大学に進学した。
私の結婚式の日は、妙に黙りこくったり、妙にハイだったりと、見たこともない父の姿がそこにあった。
笑った父の目に涙が光ったのを、私は見逃さなかった。
息子が生まれた時、父は誰よりも喜んだ。なんたって娘3人だったから。
自分の名から一字取った名前をつけたかったらしいが...苗字とのバランスが悪すぎて却下。今思い出しても笑えるくらい、残念そうだった。
情操教育と称して、額絵を買ったり、クラシック音楽を聴かせたり、玩具箱と乗り物を兼ねた、不恰好な車を手作りもした。
娘には厳しかったくせに、孫は溺愛した。
日頃はまず病院に行かない父が、その日は自ら行くと言ったのだから、よほど具合が悪かったのだろう。
午後から入院して...翌朝の4時に亡くなった。
89歳だった。
看護師さんが、遺体の清拭をしてくれたが、ドアの外で、心の中で、私は父の傷を指でなぞっていた。
「お父さん、生んでくれてありがとう。」と呟きながら。
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もうお盆も近いから、両親のことを思い出したりするのかなぁ?
ではでは、行ってきま〜す!
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