6/23 映画 「峠 最後のサムライ」
夕ごはん
豚ヒレ肉の味噌漬け焼き
枝豆豆腐
インゲンの胡麻和え
蒲鉾
ハッサク
蒲鉾は今日が賞味期限😓
たまに買うけど、いつも賞味期限ギリギリになってしまう😵💦
今朝のお弁当
フィッシュフライ、かぼちゃのキッシュ風、バジルソースニョッキ
少なめなのでパンを追加
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昨日観てきた「峠 最後のサムライ」
司馬遼太郎の「峠」は、途中で挫折した私だからほんとは何も言えないのだけどね😅
ても、司馬氏が、河井継之助を通して日本人の尊厳について考えたことを遺書として書き残しておきたい、という強い思いで「峠」を書いた、とのことだから、
武士として美しく生きた最後のサムライ、であったことはまちがいないみたい
映画は、徳川慶喜の大政奉還から始まるから、
継之助の生い立ちや若い頃に触れていない
ここでざっと彼の生涯を😃
文政10年(1827)生まれ、越後 長岡藩120石取りの軽輩の出であるが、負けず嫌いで意思の強い少年であった、という
17歳で立志を誓い、江戸に遊学、佐久間象山らに学んだ
寛永6年(1853) 黒船の来航
28歳で藩主に出した意見書が認められるも、不遇の時代が続き、再び江戸を目指す
この時、備中松山藩の藩政改革を断行した儒者、山田方谷に教えを乞い、
方谷の「経世済民」の教えと諸国での見聞がその後の継之助の考え方に深い影響を与えた
慶応元年(1865)藩主に抜擢され郡奉行になってからは、12万両の赤字があった藩財政を3年足らずで11万両の余剰金を積み上げるまでに
この財力で、大砲30門配備、ミニエー銃を全藩士に、フランス式兵制の導入、と近代武装を成し遂げた
慶応4年(1868)鳥羽伏見で戊辰戦争が勃発
継之助は、江戸藩邸を整理し、ガトリング砲2門をはじめ最新鋭の銃器を買い込み、長岡へ帰還
〜・〜・〜
ここから、やっと映画につながる訳で😅
小藩ながら武装中立を夢見て、戦争回避のために新政府軍との談判に臨むが...
わずか30分で決裂すると、長岡藩は壮絶な北越戊辰戦争への舵を切ることとなり、
1度は奪われた長岡城を奪還するなど、再起を図るが、
相次ぐ味方の裏切りもあり苦戦を強いられた継之助は、自身が重傷を負い、
それが元で亡くなる 享年42歳
余談になるが、
映画にも登場する、継之助の最期を看取った若者、外山脩造は、彼に「商人になれ」と言われた言葉を忠実に守り、
阪神電鉄や大阪麦酒(現アサヒビール)を創業、日本の近代化に重要な役割を担った
〜・〜・〜
で、結論として、
あちこちで「好評上映中」と言われているけど、
私的には、イマイチかな😅
だって、
全然尺が足りないからか、継之助の魅力も感じられないし、夫婦、親子、友達との情も描ききれていない、と思う
良い言葉もたくさん出てくるのだけど、印象に残らないのはなぜだろう?
ただ、
演歌に全く興味のない私だけど、
エンディングロールで流れる石川さゆりの歌はすごくよかった⤴️⤴️
もっとも、夜勤明けだったし、上映時間の見間違えで、2時間もショッピングモール内で時間を潰して、
疲れはマックスだったから、正当な評価を下せないかもね😅
実は、
まだまだ見たい映画が目白押しで、しばらく映画館通いが続きそうです😁
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