unico-ptrasudのブログ

遊びをせんとや生まれけむ

11/27 生い立ちの記〜友達への手紙②

夕ごはん

エボダイの干物

赤ピーマンの帆立しんじょう詰め

カブの焼いたもの

小松菜のごま和え

りんご


これからの季節は、ムスコの残業が続きひとりごはんばかり😞


ひとりの夕ごはんなので、今までは食べなかったり買ったものだったりしたたけど、


ブログのおかげで少しでもましなものを食べようという気持ちになれる

ありがたいことだ



今朝のお弁当

ゴマイワシ

目玉焼き

小松菜のごま和え

ウインナー



今日のきもの

グレーの大島

博多の名古屋帯




〜・〜・〜・〜


生い立ちの記


乳幼児の頃の恐ろしかった経験がトラウマになり、その後の人生に影響したと思う


いずれも2才頃の出来事


新潟大火は、実家のすぐ近くの電線の漏電が原因だった

父が発見者の1人だ



強風で街の中心部をコの字型に焼き尽くした火事で、我が家はコの字の空いた部分に位置していたので焼け残った


でも火元が近かったので、1キロ位離れた母の実家(と言っても大阪から疎開して親戚の家に間借りしていた)に避難した


高く上がる火の手、飛び散る火の粉、立ち込める煙、焦げ臭い匂い


身重な母に手を引かれて懸命に走った


後日妹に、それは大人の話を聞いて自分の体験として刷り込まれたものだと言われたけど、


母が古い金庫から分厚い帳簿を何冊も唐草模様の風呂敷に包んでいた光景を鮮明に覚えている



次に、

父がもらってきてくれた子犬に私が母の名前をつけて、飼っていた


その子犬は、昔にしては車の多かったウチの前の道路で、車に轢かれて死んだ


ほんのさっきまでふわふわで陽だまりのような匂いがした子犬が丸まった茶色の塊と化していった


その冷たく硬くなっていく様を見ていた



すぐ近くの公園でツキノワグマが子供を襲った事件は、祖母の店でお客さんの茶飲み話で聞いてしまった


片脚をもぎ取られたという光景がありありと頭に浮かんでしまい、悪夢となった



そんな訳で、しょっちゅう夜中に大泣きをして両親を困らせる幼児だった



身体面でも、

よくリンパを腫らせてお医者さんに電気をかけに行ったし、その後小学2年の時は腎臓病と診断されて1学期丸々休学した


3才でミッション系の幼稚園に入園して、すぐに問題を起こした


朝、母がお金がない、お金をくださいと父に泣いて頼んでいたのを聞いて、

私は父の財布からお札を抜き取り後で母に渡そうと思った


でも忘れてしまい、そのまま幼稚園に行った

途中で思いだし心配になって、先生に話したのだ


初めてタクシーに乗った


園長のシスターと担任の先生が家に来て両親と長い話をしていた

結果叱られた記憶はないので、先生が説得してくれたのだろう



こんな風に、神経過敏で臆病な私が形作られていったのだと思っている



小学時代は、回りに友達がいなかった

官公庁が大半を占める広い区域の町内に、子供は僅かで夏休みのラジオ体操も大人の参加者が多かった


本が、友達だった


学校の図書館はもちろん、すぐ近くに県立図書館があったから、毎日のように通った


習字やピアノ、絵画、茶道、珠算とお稽古ごとも多くて、友達と遊ぶ時間もなかった


小学4年から、いつもクラスの副委員長だった

小学6年では、生徒会の書記だった


中学生になっても副委員長だったが、1年の後期にリコールされた

(リコールという言葉もその時初めて知った)

親しいと思っていたクラスメートが発起人だった


中3の修学旅行の時も副委員長で出発前に打合せがあり最後にバスに乗ったら、私の席はなかった


最後部の5人の席に男子4人いて、その端に何とか座り2泊3日を過ごした



私は自分自身が嫌いだった

そして人が怖かった


たぶんそれが人と良好な関係を構築できない原因だと思う


幼稚園や小学校の卒業アルバムの自分の顔を黒く塗りつぶした


内に内にと籠って、悶々としていた


でも、

怖くても人が好きだし、友達が欲しかった


高校入学時に、新しくやり直したいと強く願った


〜・〜・〜・〜


追記


孤独な子供時代を送ったのは確かだが、全く友達と遊ばなかったかというと、そんなこともなくて


小学1年の時、4、5人の男子生徒(1人くらい女子もいたような?)が遠征して誘いに来てくれたことがあった


暗くなるまで公園で遊んで、なぜか持っていた10円だか20円で、皆で駄菓子屋に行った


これも初めての経験だった


小学2、3年の頃は、バービー人形を持って遊びに来てくれた女子もいた


嬉しくて、クリスマスプレゼントにもらったばかりのバービーの洋服をあげて、友達には喜ばれたけど母に叱られた


人間として失格の自分が受け入れられるためにモノをあげるという、幼稚で愚かで破廉恥な行為だった


この時代の苦い経験は、

教員室で耳にした、片親でいつも冷飯に水をかけたご飯を食べているという同級生に新しいノートをプレゼントして、こっぴどく拒絶されたこと


その男子生徒は顔を真っ赤にして怒っていた


なんと、思慮の足りない馬鹿げた行動だったろう


人を傷つけ、自分も傷つくことはこんなにも幼少時から始まっていたのだ


〇〇ちゃんに【仕方ないと思ってるでしょ?】と言われたけど、本当にそうかもしれない


やってしまったことは、取り返せないのだから


〜・〜・〜・〜


これは大切な友達に【宇宙人】【理解できない】【仕方ないと思ってるでしょ?】と言われたことに対して、


ヘンな私を少しでも理解してもらって、その上でアドバイスを乞うて、関係を修復したいと思って書いた手紙です

あと少し続きます


暗い内容ですよね?


ごめんなさい!