unico-ptrasudのブログ

遊びをせんとや生まれけむ

ごはんとパン、そして信仰のこと

昼ごはんは、一年ぶりに職場の友人とランチ。

「チェント・ペル・チェント」というイタリアンのお店。

↑前菜🎵

↓デザート🎵

これに2種類から選べるハーフパスタがつくのだが、おしゃべりに夢中で写真撮るのを忘れた😓

ランチ1000円+デザート250円。

リーズナブルな価格☝️


今日のきもの

白地の紬とひげ紬の名古屋帯

柄は...そう、蛙😁

一年でこの時期しか締められないけど、これも又きものの楽しみ☺️

今朝もパン焼き機をセットして出かけた。

くるみパン😁

くるみ足りなくてマカダミアナッツを代用したけど問題なし😁


夕ごはん

和風シチュー、サラダ、くるみパン、メロン。


うちのムスコ、エビときのこがダメなので変形バージョンだが、本来は...

この方がゼッタイおいしい☝️


今回信仰のことを書こうと思ったのは、神のこひつじさんのブログと出会ったから。


アイコンとして使われている聖画を見て、鳥肌がたった。

サムエルの祈り(画像拝借)


今までに何度となく目にしている絵画だけど、急に幼い頃の子供部屋の情景を思い出したのだ。


幼稚園の時から、中学生になり1人部屋を与えられるまで、この絵はいつも側にあった。


少し話が逸れるが、

受験勉強のさなか、英語の構文の中に「政治と宗教の話は避けた方がよい」という例文があって、妙に深い記憶として残った。

故に、自分から信仰の話をしたことはない、と思う。


さて、これからが私の信仰履歴。


まず私が生まれる15ヶ月前に、父と母が手に手をとって「駆け落ち」をし、汽車に乗って東京へ。お茶の水の教会で二人だけの結婚式を挙げた。


新潟に帰ってから二人は近くの教会に通うが、洗礼を受けるに至らなかった。けれどキリスト教に傾倒していたのだろう。私をカソリック教会の幼稚園に入れた。


幼稚園〜その後は日曜学校〜中学生は英会話〜高校時代はフランス語を習いに同じ教会へ。


東京の大学もミッション系で、毎日短い礼拝があったし、英語で聖書を読む授業もあった(新旧聖書の文学的価値みたいな勉強だった)

クリスマスイブ礼拝なども出席していた。


不思議なのは、それほど教会が身近にあったにもかかわらず、洗礼を受けるという考えはなかった。


聖書の中に「何事にも定まった時があり...」という箇所があるが、まだその時ではなかった、ということか。


社会に出て、結婚して、ムスコが生まれて...この10年間は教会とは無縁で過ごした。


ムスコ小学生になって、私の悩みが始まる。元々人と同じことができないタイプのムスコ。幼稚園時代は1人テーブルの下で寝そべっていても許されたが、学校ではそういうわけにはいかない。


毎日のように先生から電話があり、呼び出されて学校に行くのも毎度のことだった。


教育相談に通い、山のように子育ての本を読み...でも解決法は得られなかった。

完全に育児ノイローゼだった。


ムスコ2年生のクリスマスに、わが家に5組程の家族が集まってクリスマスパーティーをした。


食事が終わり、後片づけをしていた時、ある奥さんがムスコと私のために「祈る」と言ってくれた。


祈る...この言葉を聞いたのは久しぶりだった。


お客さんが帰り、ムスコ寝る前にベッドの横で、声に出して短い祈りをした。昔の記憶を繋ぎ合わせた適当な祈りだったが。


その時ムスコしくしく泣き出した。

「ママが僕のために祈ってくれるのが嬉しいの」


この一言で、頭の上にいつも垂れ込めていた暗い重い雲の隙間から日の光が差し込んだ。


なすべきことは明確だった。

「教会に行こう!」


〜 〜 〜 〜 〜

長くなりました。

明日続きを書くことにします。


ここまで読んでくださった方に、心の深いところから、お礼申しあげます。

ありがとうございました!